数年ぶりに東京の実家に戻った私だったが、懐かしさに浸っている暇はない。
 早速、本棚から漢和辞典を引っ張り出した。

 
   いくさの神の祭り。=「 祭 ばさい」

 (『新選 漢和辞典 −新版−』小学館)

 やはり神事だったか・・・。
 翌朝、詳細な資料を求めて、時差ボケに朦朧としながら、図書館へと向かった。

 
   行軍の宿営地の神を祭る祭り。
     (『新明解漢和辞典』三省堂)  
 


 祭りの名。軍隊が出征ののち、駐留した土地で、黄帝あるいは蚩尤(シユウ)
   などの神を祭るもの。
    軍隊が進んで休息するところで、そこの神に手ぬかりがあることを心配し、馬 

   から下りて祭るのを「
」という。

                                  (『全訳 漢辞海』 三省堂)

 私は徐々に興奮を覚え、いつしか時差ボケも吹き飛んでいた。

 こうてい【黄帝】
  皇帝、上帝ともいい、中央の天帝のこと。
  黄帝の神話の中心をなすのは黄帝と炎帝との戦争であり、そのうち蚩尤との戦いが
 もっとも激烈であった。

 しゆう【蚩尤】
  炎帝の子孫。前漢時代初期の『山海経』「大荒北経」に、「蚩尤は兵器を作って黄帝
 を攻めた。黄帝はそこで応龍に冀州の野で蚩尤を攻撃させた。応龍は水を貯えたが、
 蚩尤は風伯と雨師に頼んで、大風雨を起こさせた。黄帝はそこで天女の魃を呼び下
 ろした。雨はやみ、ついに蚩尤を殺した」とある。

  漢代の『龍魚河図』に「蚩尤の兄弟は八十一人で、獣の体をしており、人の言葉を
 話し、頭は胴、額は鉄で出来ていて、砂や石を食う」、南北朝時代の『述異記』巻上に
 「蚩尤は鉄と石を食う。・・・体は人、蹄は牛で、目が四つ、手が六本あり、鬚の毛が剣
 や戟のようで、頭に角が生えている」とある。
  神の蚩尤もまたこの世の巨人族の仲間である。

蚩尤

  古書の記事では、蚩尤は「貪虐」「暴」などとされているが、尊崇の対象となっている
 記事もある。
  『皇覧』「冢墓記」に「蚩尤冢。・・・毎年十月に祭りが行われる」、
  『龍魚河図』に「のちに、天下がふたたび混乱に陥ると、黄帝は蚩尤の姿を描いて
 天下を威圧した」、
  『述異記』巻上に「太原(現在の山西省太原市)の村落のあいだでは蚩尤神を祭り、
 牛頭は使わない」、
  『史記』「高祖本紀」に「(劉邦が挙兵するときに)沛(現在の江蘇省沛県)の県庁の
 庭で黄帝を祀り、蚩尤を祭った」、
  『史記』「封禅書」に「(斉では八神を祀るが)その第三を兵主といい、蚩尤を祀る」
 とあり、蚩尤はついに戦神の姿で史書に記されるにいたる。
                  (袁珂『中国神話・伝説大事典』大修館書店より抜粋)

 さらには・・・。

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